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明治通りから見える平和台球場の照明塔。カクテル光線がまぶしかった25年前

2020年05月25日

若い世代は「平和台球場を本拠地にしていたホークス」を知らない

分厚い選手層と熱狂的なファンの応援に後押しされ首位をひた走る我らが福岡ソフトバンクホークス。本拠地のヤフオク!ドームには連日多くの観戦客が訪れ、熱い声援を送っています。

【勝利の花火を毎回楽しみにしている人も多いと思います】

ところで、先日若い世代の方と話をしていて気が付いたのですが、彼らにとってホークスと言えば常勝軍団であり、20年連続Bクラスに甘んじていた暗黒時代を知らないのです。もちろん、現在の鴻臚館跡地に平和台球場があったことは知っており、かつて西鉄ライオンズという球団があったことも”歴史の1ページ”として知っているのですが、移転後の福岡ダイエーホークスが本拠地としており、その頃はパリーグのお荷物球団とまで言われていた暗黒時代であったことについては、知識として持っていても現実味がないらしいです。
福岡ドーム(当時)が完成したのが1993年。1989年の福岡移転から1992年までのわずか4シーズンの出来事なので、むべなるかなという気もします。

そこで、ちょっと調べてみました。こちらが福岡市の年齢別人口分布です。

<出展:福岡市ホームページより/2015年5月現在>

少し考えてみましょう。野球観戦に行った記憶は、おそらく物心ついてからのものになると思われます。従って、「平和台球場のホークス」を観戦した記憶があるのは、現在の30歳以上ではないかと仮定できます。
ということは、何と福岡市民の31.2%、約3人に1人が「平和台球場のホークス」を観たことが無いのです。

球場へ続く坂道を上るワクワク感

ライターである私は40代であり、西鉄ライオンズは観戦した記憶がないものの福岡ダイエーホークスは何度も平和台球場で応援した世代です。明治通りから見える照明塔のカクテル光線に心躍らせ、球場へと続く坂道をワクワクしながら登った記憶があります。

【この坂道をワクワクしながら登ったものです。当時は試合日になると両側に露店が並んでいたような・・・・】

残念ながら当時のホークス恒例の「閉店間際の大セール(試合終盤に大量失点で逆転されるそのまま負けること)」で敗北し、友人と「今日は勝ってよかったなー(8回裏までは)」「いい試合だったね(8回裏までは)」と現実逃避しながら天神へ繰り出したのもいい思い出です。

【なんとなくこのあたりが球場の外周かなと思わせる曲面ですね】

【球場の正面入り口から球場に沿って1塁側スタンドへ向かう道路の跡のようです】

今やほとんど残っていない平和台球場の痕跡

平和台球場の歴史を探るため、鴻臚館跡地にある福岡城むかし探訪館に入ってみました。しかし、ここには平和台球場の資料などはなく、担当の方の話によると明治通り沿いにある記念碑が唯一の痕跡だそうです。

【福岡城の歴史を展示してある史料館。ここには平和台球場の歴史はありませんでした】

鴻臚館という歴史的発見の前には、平和台球場が霞んで見えるのも仕方ないでしょう。いずれ時が来たら、「ここに平和台球場があって弱小ホークスが試合してたんだよ」ということを示す史料館ができればいいなと思います。

【現地で唯一見つけた平和台球場のパネル 平和台の命名理由が素晴らしいですね】

最後に

今や常勝軍団となった我がホークス。なかなか勝てずに低迷していた時代を知る我々の世代にとって、ここ数年のホークスはまさに福岡市民の誇りであり自慢でもあります。
そんなホークスが、福岡移転後しばらくの間この鴻臚館跡地にあった平和台球場で惨敗を繰り返していたことを知る人間は徐々に少なくなっていくのでしょう。平和台球場時代を知る人は、この週末にでもちょっとノスタルジックな気分に包まれながらこの地をぶらぶらしてみるのもよいのではないでしょうか。

【広々として気持ちのいい公園、思い思いの時間を過ごせます】

 

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