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「サザエさん一家」は、百道の海から生まれた ~西新・サザエさん発案の地「磯野広場」~

2020年05月26日

地下鉄西新駅の西側、脇山口交差点から百道浜方面へ歩いていくと、たくさんのサザエさんが笑顔で迎えてくれます。それもそのはず、ここは「サザエさん通り」。修猷館高校や西南学院、福岡市博物館前を通ってシーサイドももち海浜公園入口まで、1.6キロメートルほどの道のりです。

その中間地点である西新通り交差点の角には石碑や大きな石が置かれた、その名も「磯野広場」があり、「サザエさん発案の地」という記念碑が建てられています。サザエさんの原作者・長谷川町子さんは、この地でサザエさんの構想を練ったのだそうです。石の上には立派なカニもいますが、サザエさんが生まれた頃、このあたりはまだ海でした。

長谷川町子さんは1920年(大正9年)佐賀県小城郡多久町(現在の多久市)で生まれ、幼少時から高校2年までを福岡市内で過ごしました。その後、漫画家・田河水泡氏に師事するため上京し、漫画家デビューを果たしたものの、戦争の悪化により福岡に疎開。1944年(昭和19年)から3年ほどは西新に住んでいたそうです。

1946年(昭和21年)創刊の夕刊フクニチでの連載を依頼された長谷川さんは、自宅近くの百道海岸を散歩している時に、サザエ・カツオ・ワカメ・フネなど海にまつわるキャラクターを思いついたのだとか。連載が始まった頃はサザエさん一家も福岡在住で、サザエさんは独身でした。記念碑にあるウラ話によると、子どもの頃の長谷川さんはかなり「腕白」な女の子だったそうです。サザエさんといえば「おてんば」のイメージですが、そのモデルは長谷川さん自身だったのかもしれませんね。

その後、長谷川さんは一家で東京に転居し、サザエさんも舞台を東京に移しましたが、父・波平さんの双子の兄・海平さんは今でも福岡在住としてアニメに登場しています。余談ですが、海平さんは西新の活性化にも熱心で、ときどき西新界隈に出没するそうです。波平さんとの見分け方は「髪の毛の数」。髪の毛が2本あったら、それは海平さん。波平さんは1本です。

百道海岸は1982年から埋め立てが行われ、1989年に開催されたアジア太平洋博覧会の後、現在の形に開発が進められました。今では高層ビルやマンションが立ち並び、図書館や博物館など文化的な施設も多いシーサイドももち地区。ここが海岸だったとは、今となっては想像もできません。

西新駅の改札前には高取焼で製作されたサザエさんの陶板があり、1番出口を出たところが脇山口交差点。「サザエさん通り」の大きな看板が目印です。

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