奈良屋町にある火災除けになる井戸水があるとのことで見に行ってみました。
▲ 博多区奈良屋町の片隅に「大同庵」と書かれた碑が建てられています。
▲ 大同庵はかつて古渓和尚(こけいおしょう)という僧が住んでいた場所です。
▲ 古渓和尚は京都の大徳寺の住職でした。
豊臣秀吉や千利休とも交流があり織田信長の葬儀を担当した経歴を持つ人物です。
ある時、大徳寺の山門を改修することになり、世話になっている利休の恩に報いるため門の二階部分に利休の木像を作りました。
利休の木像が二階部分にあるということはこの門を通るためには木像の下をくぐる必要があります。
このことが秀吉の怒りをかってしまいます。
秀吉は利休の下をくぐらなければ寺に入れない状態が無礼であるととして利休に切腹を命じました。
そして、その門があった大徳寺の住職である古渓和尚も責任を取ることになり、博多へ流されることになりました。
▲ 博多では豪商の神屋宗湛や島井宗室が「大同庵」という小さな家を建てて迎え入れました。
それが奈良屋町のこの場所です。
▲ 古渓和尚は約3年後に許されて京に戻ることになりましたが、温かく迎え入れてくれた博多の人へ恩を返すために点茶用に使っていた井戸に火災除けの祈祷を行いました。
以来、この井戸水を軒先に撒いておくと火災が発生しないと言われるようになりました。
▲ また、この周辺の昔の町名は「古渓町」と名付けられていて、この地に古渓和尚がいたことを伝えるものとなっています。
▲ 駐車場の片隅にひっそりとありますのであまり目立ちませんが、意外な歴史の秘話が残されているスポットです。