福岡藩最西端の宿場町として栄えた前原宿跡には歴史的な建物が多く残されています。
▲ 筑前前原駅から歩いて約5分の場所にある前原宿跡。
▲ ここはかつて福岡藩領の最も西にある唐津街道沿いの宿場町として栄え、数多くの人が行き交った場所です。
唐津街道の歴史は非常に古く、魏志倭人伝に出てくる3世紀頃からすでにあったのではないかと考えてられています。
また、16世紀後半ごろの朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際には豊臣秀吉が名護屋城に向かうルートとしても使われたのだそうです。
▲ 江戸時代には前原宿の周囲には唐津藩領や幕府領が隣接していたので検問を行う席番所が設置されていたのだそうです。
▲ 長崎警備を任されていた福岡藩士がこの道を通って長崎まで出向いていました。
▲ また、幕末期には多くの志士たちが往来していたといいます。
▲ 街道沿いには多くの歴史的建造物が残されていますので散策が楽しい場所でもあります。
▲ 特に注目してほしいのがこちらの旧西原邸の建物。
▲ 西原家はロウソクの製造や醸造業、金融業などを行う商家でした。
「綿屋」という屋号で商売を行い、糸島地方で屈指の商家として栄えました。
黒田家へ財政面でのサポートも行ったことから大きな力を持ち、発展していきました。
現存している建物は安政2(1855)年に建てられたもので非常に歴史があります。
▲ 現在はカフェとして使われていますのでゆっくりとくつろぎながら内部の様子を見ることができます。
▲ そして前原宿には人馬継所も設けられていました。
▲ 人馬継所では荷物を運搬したり駕籠(かご)を運ぶ人や馬が交代する場所です。
▲ その他にも御茶屋、町茶屋、代官所、そして多くの旅籠があり、福岡から長崎へと続く街道の重要な中継地点となっていました。
古くからたくさんの人々が往来した唐津街道の前原宿。
もしかしたら坂本龍馬なんかもこの道を通ったのかもしれないと思うとワクワクしますね。
【参考文献】
・街道と宿場町(アクロス福岡文化誌編纂委員会編/海鳥社)