明治時代、福岡県春日市の岡本に吉村源次郎という人物がいました。
▲ 吉村氏は岡本の この場所に家を建てようとしていました。

しかし、ここには重さ数トンにもなる巨石が2つあり邪魔になっていましたので親戚3人に頼んでこの巨石を動かしてもらうことにしました。
春日市周辺は昔から青銅器などが出土していたため興味本位で巨石があった場所を掘ってみることに。
すると!石があった場所から赤く塗られた甕(かめ)が出土!しかもその中には青銅器がいっぱい!
しかし、素人の発掘でしたのでその青銅器はバラバラに崩れてしまいました。
3人は怖くなったのか、一旦発掘したものを戻して僧侶に供養してもらいました。
青銅器が埋まっている上に家を建てるわけにもいかず、困った末にその場所から数十メートル離れた場所に煉瓦で固めた地下室を作り、その中に土ごと保管することにしました。

大正時代に入ってから本格的な調査を行った結果、銅剣・銅矛・銅戈・銅鏡・勾玉などが大量に納められていた事がわかりました。
周辺の状況などと照らしあわせて研究した結果、どうやらここは1世紀から3世紀前半に存在した奴国王の墓の可能性があるということがわかったのだそうです。
▲ その場所は須玖岡本遺跡の「D地点」と呼ばれていて今は空き地になっています。

▲ 巨石は奴国の丘歴史資料館の横にある公園に移されて現在に至っています。千年ぐらい前のものが今でもこうして残っているとは、なんだか不思議な感じです。
吉村氏もまさか自分の土地に古代の王様の墓があったなんて思ってもみなかったでしょうね。
【参考文献】
Wikipedia須玖岡本遺跡
インディ=ジョーンズの時代