香椎宮の横にある「香椎」の地名の由来になった場所をご存知でしょうか?
▲ 香椎宮から西に進むと「古宮跡」と書かれたちょっとした丘のような場所があります。
▲ 階段を登り、奥に進んでいくと一つの碑が建てられています。
▲ 碑には「仲哀天皇大本営御旧蹟」と書かれています。
今からおよそ1800年前の西暦199年、熊襲(九州で強い力を持っていた一族)を討伐するため仲哀天皇と神功皇后は筑紫の地にやって来て、この場所に拠点を作りました。
熊襲との戦いの途中、仲哀天皇は神様から朝鮮半島の新羅を平定せよとお告げを受けましたが、これを受け入れませんでした。
そのことが神様の怒りに触れて仲哀天皇はこの地で崩御してしまいます。
▲ 神功皇后は仲哀天皇の亡骸を棺に入れ、椎の木に立てかけました。
すると、椎の木からあたり一面に香りが漂ったのだそうです。
「香り」が「椎の木」から漂ったことが由来となって、この地を「香椎」と呼ぶようになりました。
▲ ちなみにその椎の木は現在でも残っていて柵の中に厳重に保存されています。
▲ 仲哀天皇の死後、神功皇后は自ら朝鮮半島へ渡り新羅を平定。
帰国後に仲哀天皇を古宮跡の場所に祀りました。
▲ その後、西暦724年に現在の香椎宮の場所に神功皇后が祀られました。
▲ 長い年月、仲哀天皇は古宮跡に、神功皇后は現在の香椎宮の場所に別々に祀られていましたが、大正4(1915)年になってようやく同じ場所に祀られ、現在の形となりました。
▲ 「香椎」という名前にはそんな仲哀天皇と神功皇后のストーリーがあったのですね。
名前の由来を調べてみるといろいろと興味深いことが見えてくるものですね。