上呉服町に「生き残り地蔵」という地蔵があることをご存知でしょうか?
▲ 上呉服町の西門橋。
この橋から伸びる道筋は西門通りと呼ばれています。
▲ 「西門」とは聖福寺の西門のことで西門橋のすぐ近くにあります。
▲ この界隈にはレトロな町並みが残っており昔ならではの博多の町の雰囲気を感じることができます。
▲ こちらの吉武酒店は昭和元(1926)年創業の老舗で知る人ぞ知る博多の名物角打。
夕方頃から地元の人々でにぎわいます。
▲ そんな西門通りに2体の地蔵が安置されている地蔵堂があります。
一つは葛城(かつらぎ)地蔵大菩薩。
延喜年間(西暦901年〜923年)に梵字の書かれた石が発掘され、この地に祀られました。
▲ 今からは想像できませんが、このあたりから糸島富士と言われる可也山が見えたことから富士見坂と呼ばれ、梵字入りの石を祀る地として最適ということでこの場所が選ばれ、その後、地蔵が作られ信仰を集めていきます。
また、宝満山の山伏が修行のために霊場に向かう時にはこの場所でお経を読んでいました。
その修業に向かうことを葛城入峰(かつらぎにゅうぶ)と言ったそうで、そのことから「葛城地蔵」と呼ばれるようになったのだそうです。
▲ もう一つの将軍地蔵大菩薩は天文年間(西暦1532年〜1555年)に亀井加賀守という人物が、博多で流行していた疫病を退散するために熊野権現(熊野三山に祀られる神)を迎えて祈祷を行ったところ、たちどころに収まったことから、強い神である将軍地蔵大菩薩として祀られました。
▲ 戦時中、この界隈は空襲でも焼けず、しかも町から出征していった30名も全員無事で帰ってきたことは、これらの地蔵のおかげだとされ、以来、「生き残り地蔵」として人々に信仰されるようになりました。
その他にも町内安全、家内安全、無病息災、病魔退散、身体強健、家運隆昌、子孫繁栄などにもご利益があるとされ、町の人々から大切に守られています。
▲ 葛城地蔵大菩薩と将軍地蔵大菩薩、ひっそりとした地蔵ですがかなりパワーが強いようです。
みなさんもぜひ参拝してみてくださいね。