志賀島の志賀海神社にある竹林は実はスゴイものだった?!

▲ 志賀海神社は海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除などさまざまなご利益がある神社として知られ、境内の雰囲気も良いことからお出かけスポットとして人気があります。

▲ 志賀島と志賀海神社は神功皇后ゆかりの地でもあり、数々の神功皇后関連の伝承が残っています。

神功皇后が三韓征伐で新羅に向かう時、志賀島の近辺に船をつけ、従者に火を持ってくるように命じました。
従者は志賀島から火を持ってきました。
別の従者が「近くにあったのか?」と尋ねると「ここから近くに陸続きの島があった」と答え、そのことが由来となって島は「近島」と名付けられました。
その「近島」が徐々に変化して「志賀島」になったのだそうです。

▲ 志賀海神社の本殿から西側に進んでいくと木々が生い茂っている場所があります。
▲ その中に、竹がたくさん生い茂る一角がありますが、こちらの竹林も神功皇后ゆかりのものです。

文政4年(1821年)に書かれた福岡周辺の歴史を紹介する「筑前名所図会」の第3巻には志賀島についての記述があり、7ページにわたって解説されています。
第1巻の福岡城に関するページは4ページしかないのに対して、7ページもページ数が使われている志賀島は非常に歴史ある島であるということがわかります。
筑前名所図会の志賀島のページに「長生竹(ちょうせいちく)」というものが解説されています。
内容を引用すると、
長生竹 御社の西の側に竹林あり 皇后の御船に立たる旗竿を以て、地に立給ひしに、其竹成長して竹林となれり、よって後世旗竿に用ひ、又棹とす
とあります。
つまり、
・志賀海神社の社殿の西側に竹林がある
・これは皇后が船に立てられていた旗竿を地面にさしたらそれが成長して竹林になったもの
・後世の人は(この竹を)旗竿として使ったり、船をこぐ竿として使った
ということです。
ここにも神功皇后の足跡が残っていたとは!

▲ 何も言われないと見過ごしてしまいそうなものですが、実はスゴイ逸話が隠されていたんですね。
▲ ちなみに東区の名島城跡の近くにある「帆柱石」は神宮皇后が三韓征伐に向かった船の帆柱が現在でも残っているものだと伝えられています。
【参考文献】
・「福岡歴史探訪 東区編」柳猛直 著/海鳥社