松尾芭蕉の墓が馬出にある?!そんな噂を聞きつけ、馬出に探しに行ってみました。
▲ 馬出九大病院前駅に到着。さっそく探していきたいと思います。
▲ それにしても馬出に松尾芭蕉のお墓・・・聞いたこともないですが本当にあるのでしょうか・・・?
▲ 通称「枯野塚」と呼ばれているらしく、かなり探しにくい場所にあるとのこと。
しばらくウロウロしてみましたがなかなか見つけることができません・・・。
▲ お!こんなところにいい感じの古本屋があったとは!
これは知らなかったなぁ〜!
ちょっとのぞいてみようかな〜なんて思いましたが、今回の目的は古本ではありません。
松尾芭蕉のお墓を探さないと・・・。
▲ その後、しばらく歩きまわるものの、あまりにもわからなかったので何人かに尋ねてみました。
しかし「知らない」「聞いたことない」「そんなのあったっけ?」と、近隣の人でも知らないようです。
この情報はデマだったのか?!
▲ 諦めずに聞きこみを続けていると「甚八寿司の向かい側らへんにそういうようなものがあったような気がする」との若干頼りないけれど有力そうな情報が!
▲ 甚八寿司の向かい側・・・よく見てみると・・・・
▲ 「← 枯野塚 20m」 の案内がありました!
ようやく近づいてきました。
▲ 案内の出ていた方向を見てみると・・・ものすごく民家の間!
これはわからないハズだな・・・。
これまで色々な碑を探してきましたが今回は過去もっとも難易度が高かった気がします。
▲ 民家の隙間に隠れるようにたくさんの碑が置かれていました。
この中に松尾芭蕉のお墓があるんでしょうか?
そう思って左から二番目の碑を見てみると・・・・・
▲ あった!「芭蕉翁之墓」!ホントにあった!
近くの案内板にはこう書かれていました。
元禄12年(1699年)、郷土の俳人哺川は、博多に滞在していた松尾芭蕉の高弟向井去来から芭蕉の辞世の句を贈られました。哺川はこの好意に深く感激し、同じ芭蕉の高弟志太野坡に「芭蕉翁の墓」の碑名の書を依頼し、元禄13年(1700年)に枯野塚を建立しました。
要約すると、松尾芭蕉のファン(?)であった博多の哺川(ほせん)さんが松尾芭蕉の辞世の句をもらったことに感動して墓を記念碑的な意味合いで建てたということのようですね。
▲ この巨大な碑には松尾芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」が刻まれているそうです。
▲ ちなみに松尾芭蕉の墓を建てた哺川(ほせん)さんの墓も同じ場所にありました。
▲ というか松尾芭蕉の墓の横に建てられていました。
大好きな芭蕉の横に寄り添うように眠っています。なんだかホッコリしますね。
ちなみにこういった松尾芭蕉の墓、というか墓碑は全国いろいろな場所にあるらしいのですが、この馬出の墓はその中でも最も古いそうでかなり貴重なものだそうです。