福岡市内には菅原道真ゆかりの地が数多くあることをご存知でしょうか?ここもそうだったの?!という場所がたくさんあります。

▲ まずはこちら。薬院1丁目にある姿見橋。
一見何の変哲もない普通の橋に見えますがこの橋には菅原道真ゆかりのエピソードがあります。
菅原道真が政治的陰謀によって京から左遷され、失意のうちに博多に到着し、川に映った自分のやつれ顔をみて嘆き悲しんだそうです。
その場所が姿見橋の付近だったと言われています。
この橋がある川は薬院新川ですが、かつては四十川(しじゅうかわ)と呼ばれていました。
これは菅原道真が「この地が死時有(しじゅう)の地だ」と言ったことに由来するのだとか。
姿見橋 住所:中央区薬院1丁目2−2付近

▲ 上記の姿見橋の近くにこのエピソードにちなむ容見天神という神社も建てられていました。
現在は移転して別の神社になっていますが、「容見天神故地」という碑が残されています。
容見天神故地 住所:中央区今泉1丁目5-11

▲ その容見天神がどこに移転したかというと天神一丁目にある「水鏡天満宮」です。
福岡城を建てる時に城の鬼門封じのために容見天神が移されて現在の水鏡天満宮となりました。
ちなみに、この容見天神の「天神」が地名の天神の由来になっているのだそうです。
水鏡天満宮 住所:中央区天神1丁目15-4

▲ 菅原道真で川に顔を映して見た・・・というエピソードを紹介しましたが、博多リバレインの横にある鏡天満宮には少し違ったエピソードが伝わっているようです。
鏡天満宮の案内看板によると、
菅公が、博多に上陸された第一歩の地に御休息の時、「海路の疲れにおやつれ給ひし御相顔を鏡に映して御覧になった」と伝えられる鏡をお祀りする神社です。
とのことで、川ではなく鏡だったと言われているようです。
いずれにしても菅原道真の「顔を見て嘆き悲しんだ」というエピソードはかなり印象深いエピソードとして人々に広まったのでしょうね。
鏡天満宮 住所:福岡市博多区下川端町3−1

▲ 博多に到着した菅原道真を迎え入れた場所も神社として残されています。
博多区の綱場町にある綱敷天満宮です。
この場所はかつて袖の湊(そでのみなと)と言われる入江に面していて菅原道真が博多に到着して初めて上陸した地なのだそうです。
人々は船の綱を輪っかのようにして敷物を作り菅原道真を迎え入れたことから綱敷天満宮(綱敷天神)と言われるようになりました。
綱敷天満宮 住所:博多区綱場町5−7

▲ 博多に到着した菅原道真は大宰府に向かう道中で色々な場所に立ち寄っています。
例えばこちら。警固にある菅原神社。
今からは想像できませんが、かつては警固あたりまで海の入江が広がっていたそうで、菅原道真はこの地にあった砂浜に立ち寄って休憩をしたと伝わっているそうです。
菅原神社 住所:中央区警固2-6-15

▲ 平尾4丁目にある平尾八幡宮には菅原道真が休憩したと言われる石・・・・のレプリカがあります。
なぜここに立ち寄ったのかというと、ある理由があります。
菅原道真は左遷された地がいったいどんな場所かを確認しておきたいと考えていました。
そのため街を一望できる高い場所を探し、この地に立ち寄ったのだそうです。
その際に休憩した石があったようですが現在はなくなっており、そのレプリカが作られています。
平尾八幡宮 住所:福岡県福岡市中央区平尾4-10-38

▲ 最後は城南区の神松寺にある老松神社。
この場所も菅原道真が上陸した博多から大宰府への道中に立ち寄った場所だと言われています。
ずいぶん遠回りして大宰府に向かったんだな・・・という印象を受けますが、正確な地図もない時代、そういうこともあるでしょう・・・。
この老松神社は菅原道真にちなむ神社であることから合格祈願や学業成就のご利益がある神社としても知られています。

▲ 福岡市内にある菅原道真ゆかりのスポット、いかがだったでしょうか?
意外な場所も多かったのではないかと思います。
細かいものまで含めるとここでは紹介できないほどまだまだたくさんあります。
きっとみなさんの近所にもあるかと思いますので探してみてくださいね。