黒田官兵衛は、家督を息子の長政にゆずったのち出家し、「黒田如水」と名乗りました。
関が原の戦いの約10年ほど前です。
関が原の戦いでは長政は東軍の一員として戦い見事勝利、家康から筑前の国を与えられ52万石の大名へと出世しました。
如水とともに福岡にはいった長政は福岡城の築城に着手、しかしそれから数年後に城の完成を見ることなく如水は息を引きとったと伝えられています。
福岡城が出来上がるまで、如水が隠居後の晩年をすごしたといわれる屋敷はどこにあったと思いますか?
舞鶴公園から大濠公園側の道路を渡ったすぐ右の高台に牡丹がたくさん植えてある一角「牡丹芍薬園」があります。その園内に今も「お鷹屋敷跡」として石碑がたっているところ、ここが如水の屋敷だったようです。
市民の憩いの場である牡丹園。いまから約400年ほど前、官兵衛はここで老後を過ごしていたんですね。